シネマ歌舞伎→演舞場夜の部



最初に演舞場に行くことを決めて切符を取った後、午前中行く病院の予約がいつもの時間より30分ほど早くなったので、よしこれなら余裕持って行けるぞ、と取ったシネマ歌舞伎
いつもの“歌舞伎座一日観劇”とはまた違った“歌舞伎まみれの一日”(笑)。

シネマ歌舞伎・野田版鼠小僧



前述の通り、演舞場の予定ありきの上で行くことを決めたので、当日券でもあれば入れるとのことだったのだけど入れなかったらヤだなー、とさっさと指定券を取っておりまして。
行ったらやはり?当券で入ろうとする方が数人窓口に並んでいて。着いたのが上映時間20分前くらいだったかなぁ。既に入れるか入れないか、ギリギリだったようです。
そんな話を耳にしつつ、エスカレーターで上へ。
ホントなら4ヶ月前に来てたはずだった東劇。*1ようやく入れた、って感じ(笑)。
席は前から10列目の右端近く。
実際に観た方のブログや松竹の宣伝文句などで、画面がとても綺麗ということでしたが…本当に綺麗でびっくり。とても映画館のスクリーンで観ているとは思えないような美しさ。細部までくっきり映っていて。どこのシーンのどなたか忘れましたが、ぽん、と手を叩く、という仕種で舞い上がった白粉の粉まで映っていたのには本当に驚きました。
内容は…一昨年の納涼で上演されたものそのままですので割愛しますが(苦笑)。
あの当時は勘九郎丈第一、という感じで*2そういう視点から観ていて他の役者さんのこともほとんど知らなかったので、あの頃よりちょっとは他の役者さんのこともわかるようになった今観ると、随分印象が変わった気がしました。
“自分の視点”ではなく、“切り取られた視点”からの映像情報というところから受ける印象の違いというのもあるのでしょうね。とにかくアップ満載だし(笑)。

  • 吉弥丈がお元気だったなぁ…。
  • 獅童丈、キャラが捨助じゃねーか(爆)。
  • 福助丈の様々な無茶苦茶っぷりにうっとり(失笑)。

などなど、上演当時は考えられなかったことが一杯ありまして。やっぱり役者さんのことは広く知っておいた方が絶対面白く観られるものだな、ということを実感。
2、3箇所、「ここじゃなくてあっちを映して欲しいんですがー。」というような思いをした場面もありましたが、オリジナルの舞台としてのクオリティの高さと相まって、
「良いものを観られた。」
という満足感が。
と、同時に、やはり野田歌舞伎の“後味の悪さ”を再認識しました(汗)。これは良いとか悪いとかいう次元ではなく、飽くまでも私の印象ですので。
『研辰の討たれ』とテーマは同じ、と見て良いのでしょうか?
「人間にとって、“正しいこと”とは何ぞや?」
ということで。
忠義や親子・男女の情愛を主とした古典と言われる歌舞伎の数々。
根底に流れる“人”を中心とした物語。
それを現代的な視点で、古典を下敷きとして焼き直したものが“野田歌舞伎”と。
「“野田歌舞伎”は“歌舞伎”じゃない。」
という意見も多々目にしますが。
確かにそういう意見もアリだと思うんですが(実際私自身もそう思わないとは言い切れない)、“現代に生きる者の歌舞伎”であると再認識しました。
元々歌舞伎というもの自体、その成り立った時代の出来事を反映させたものであった訳ですし。
携帯電話が普及し、インターネットが普及し、テレビは毎日異常な殺人を報道し続ける…etc.
そんな“二十一世紀という今”が創り出すものが“野田歌舞伎”。
てな感じで捉えております、ワタクシは。
既出な意見。的外れな意見。かもですが。

と、少々重い気持ちを抱えつつ、演舞場へ移動〜。

何度も言うようだが(苦笑)、初演舞場。東劇からは目と鼻の先と聞いていて、地図サイトなどで調べてもいたのだけれど、移動時間に余裕が無いので実地の下調べを決行(笑)。
東劇に行く前に、いつの間にやら出来ていた歌舞伎座向かいのコンビニ*3に寄り、敢えて表通りへと出ず裏へ回る。
勘を頼り(笑)に歩いていくと、ありましたー“新橋演舞場”の文字の書かれた建物が。そしてそこから左を見ると、まさしくあれは東劇ビル。
お陰で終映後は安心して移動。昼の部を観終わって出てきた人々を半ばかき分けつつ入口方面と思われる方向へ。
待つこと10分といったところだったでしょうか、開場。
で、中に入るも勝手分からず。取り敢えず一階ロビーをうろちょろ。上手側に売店。国立に似た感じ。普通のお菓子とか売ってたり。で、歌舞伎関係のグッズなどはちょっとしか無かったのだけれど、團十郎丈のハンカチ買おうかなぁ…なんて悩んだり。
しかしふと我に返る。
「筋書買わねば。」
目の前に“筋書あります”の文字。すかさずお菓子を売ってるコーナーのおばちゃんに「くださいな。」と(笑)。
「昨日から写真入りの筋書になったんですよー。『鳥辺山心中』なんてとっても素敵ですから。」
とのおばちゃんのフレンドリーな言葉に思わずにっこりする私…(笑)。
そして次のターゲット(笑)は…舞台写真だっっ!
これは噂で二階で売られていると聞いていたので、階段見付けて上へ。
ちんまりありました、舞台写真コーナー(笑)。でも歌舞伎座の建物の柱に貼って売られているという形だとボリュームある感じだけど、結局のところ演舞場の写真の量もそんなに変わらないのではないかと。
早速福助丈チェック。全部で7枚。写真にふられた番号が連番であることを確認。注文用の紙にためらわず“○○〜××”と書き込む私。大人買い<こりゃ絶対違う。更に土右衛門の左團次丈と、五郎蔵の團十郎丈の写真も一枚ずつ。海老ちゃんの写真は…何故ピンが三枚のみ…。噂の“海老蔵チェック”通らなかったのだろうか(汗)。それも今ひとつな写真だったのでパス。
さっさと買って更に上へ。
席は三階左の中央付近。歌舞伎座に比べるととても広くて座りやすい席なのだけど…。いや歌舞伎座では西に座ったことが無いので何ともなんだけれどね、本当に見事に花道が見えないってのに参る(汗)。『五郎蔵』の最初なんて、完全に蚊帳の外じゃんかよー、と。
と、ここで右隣の人が同じような会話をしていて。
「花道使う時になったら、アレ見ればいいじゃん。
と。
「…アレって何?」
とナゾを抱えつつ。
柝が直って、いよいよ開幕。

鳥辺山心中



幕が開いて更に絶句。舞台中央より上手しか見えない。本当に見事なまでに中央からさくっと下手は隠れている。
でもこれは主に下手側にある花道から入って、という歌舞伎の家の造りに大いに救われたものでもあり。*4
逆に右側だったら花道は見えるものの、舞台上で何をしているのかさっぱり、といった状態なのではないかと。
そんな訳で(?)主に上手側座敷で繰り広げられる芝居、なかなか見易かったです。
海老様の若侍姿が本当に素敵で。酔った、と横になり転寝する様も美しく。
筋としては本当に単純な物語なんですが(苦笑)、お染の菊ちゃんも綺麗だったし。松緑丈も出て“平成の三之助”の揃い踏みというのも良かったし。
と、ここでさっきの“アレ”のナゾが明らかに。
「そろそろ花道使うんだろうなぁ。」
と思ったその時、視界の左端が明るくなり。
いやびっくりしました。左側の席用に、映りは悪いながらも花道用のモニターがあるなんて!
お陰で雰囲気は十分とは言えないけれど、ちゃんと楽しめました。ありがたや。

六歌仙容彩/文屋・喜撰



す、すいません…<誰に謝ってるんだか(失笑)。この前の幕間に昨日書いたことがあり、動揺やら妄想やら(爆)で頭の中一杯で、この演目、よく覚えてません…(汗)。
特に『文屋』の方が。比較的真ん中で踊られたので、主役である松緑丈の姿が見えないということは無かったんですが。
筋書を読んで内容はわかったものの、やはり舞踊は唄が聞き取れないと辛いですよね。
どうも私、目から入ってくる情報=演技と、耳から入ってくる情報=清元・長唄などなどとを一緒に処理する能力が劣っているようです。最近ようやく気付いたんですけど(苦笑)。
台詞なら役者の動きというか、役者さん自身から発しているものなのでそう問題なく入ってくるようなんですが、どうも唄いになってしまうとダメっぽい。
てな訳で…。でも『喜撰』の時にはどうにか少しは舞台に集中出来るようになっていたので、音羽屋親子の共演、楽しませて戴きました。茶汲みの菊之助丈がお染同様綺麗で可愛かったです。
しかし菊五郎丈を最初に観たのは何を隠そう仁左衛門丈襲名時の『道成寺』だったのだけれど、その後拝見した舞踊関係は坊主ばっか、という(笑)。“ばっか”と言うほど観てもいませんが…一昨年の顔見世の『浮かれ坊主』と今回の『喜撰』くらいかな? あ、そうだ…去年の海老蔵襲名の時も、親子競演拝見したんでしたっけ、『吉野山』。しかしあの時は浅草で二回観たし、という気でいたのと、何しろ昼夜通し観劇の夜の部で、直前の幕間で食事した後だったので…ほぼ爆睡してしまったのでした(滝汗)。

御所五郎蔵



ハイ、今月三度目の『五郎蔵』です(笑)。
三者三様、という言葉通り、それぞれ楽しめたのですが、しかしと言うかやはりと言うか、五郎蔵のような役は團十郎丈、という気が強くしました。
病後初拝見の團十郎丈、ワタクシ二度も観ていたにも関わらず勘違いしておりまして、出から下手、と思っていました(苦笑)。なので上手から御登場された時にはホント嬉しかったです。まぁその代わり、左團次丈がモニターで拝見、となってしまった訳ですが。
と…左團次丈も本当に久々だったですねぇ。これまた嬉しくて。いつ以来でしょうか…去年二月の『三人吉三』以来だと思うんですが。あ、違う。四月の『大物浦』だ、多分<あやふやかよ(汗)。
ともあれ、團十郎丈・左團次丈、がっぷり四つに組んだ渡り台詞が気持ち良い。
あわや喧嘩に、といったところを止める役どころ、浅草では二部とも“留女”だったけれども、ここでは菊五郎丈。…“留めオヤジ”?<殴打。
そして幕が一旦引かれ、転換。二幕目、いよいよ福助丈扮する皐月の登場。もうドキドキです(笑)。
しかしどのような形で出てくるのか知らず、ドキドキしつつものんびり構えていたら、幕が開いた途端に「成駒屋!」の大向うが。
「えっ、板付き!?」
と慌てて舞台を観たところ、またもやギリギリラッキーで舞台中央に福助丈が(涙)。*5
もうそれから先は恒例となりました双眼鏡で延々観続け状態
途中で土右衛門が来ても、五郎蔵が出てきても、とにかく下手側では見えないので、皐月を観通し。…というのは詭弁ですね…えぇホント、このところずっと福助丈出られている時はずーーーーーーーーーーーーーーっと双眼鏡覗きっぱなし、なんです。それはもう、ストーカーの如く(滝汗)。
しかし軒先が随分と出ている造りの建物*6だったので、声が聞こえにくいし、皐月ですら立ち上がると顔が見えなくなるといった状態。
でもまぁ…堪能させて戴きました…。文を書く姿、銀の長煙管を立てて握っている姿(これは海老蔵襲名時の『助六』の白玉の写真見て以来、ワタクシの傾城の好きな姿であります)、五郎蔵が愛想尽かしをされて怒り、台詞をまくしたてている間の苦悶の表情などなど。逢州に自分の代わりになってもらうため、裲襠を脱ぐ姿も綺麗…。
ということで、最後の場になるため再度の転換に入った際には、思いっきり脱力(失笑)。
で、最後は哀れ皐月の裲襠を羽織った逢州は五郎蔵に間違って殺されてしまう訳ですが。
これまた上の横からの視点なので何とも言えないのですが、殺されて水桶の裏に押し込められた(?)後の逢州の姿というのは正面から見た場合、見えるものなのでしょうか?
というのも、押し込められた後、姿勢が苦しかったのだと思うのですが、ちょっと動いたんですよー、松也くん(汗)。
出掛けに「これを五郎蔵さんへ。」と皐月から渡された文はどうなるのかなぁ、と気になっていた自分。五郎蔵に斬られた際に懐紙がぱぁっと散りましたが、この中にあの文が混ざっていたのでしょうか?
とにかくこの文、松也くんが動いた時、
「あれ、まだ死んでなくて、今わの際に『これを…』とかって渡すの?」
なんて勘違いしてしまいまして(汗)。
あと、幕切れが切口上…でいいんですよね?あの形(汗)。とにかく幕切れまでそう長い時間ではなかったけれども、松也くん倒れっぱなしだった訳で。はけようも無いのだけれど、あれが全ての客席から見えるようだとかなり間抜けな気がしましてね…。
足先くらいは見えていたのかな?
ともあれ、なんつーかこう…男って馬鹿だねぇと思うような筋でございました(苦笑)。

そして終演後。

偶然が重なり、新しいご縁が出来ました。思いがけぬ楽しいひとときを過ごすことが出来、とても良い一日でした。
Eさん見てます〜?(笑) メールお返事出来なくてごめんなさい。
改めてゆっくり御連絡しますねー。

*1:『蛇炎の恋』、観はぐったので…。

*2:今でもある意味でこれは変わっていないのですが。あと左團次丈という軸もありますし。しかし…ね(苦笑)。

*3:九月に行った時にはまだ無かった気がするのだが…顔見世行ったらあったのでちょっとびっくりした。

*4:コクーン歌舞伎演出の串田和美氏が「どうして歌舞伎の家は下手側に玄関があるの?」と聞いたという話を思わず髣髴させるものがありました。

*5:しかし最近出た雑誌で拝見した限り、ちょっと太られたかなぁ、といった印象だったのですが。でもこの雑誌類、まとめて顔見世の時にインタビューされたものだったようで、その後の十二月公演の際にはそんな感じは受けなかったのですけど。けれども正直、この時ぱっと拝見して、かなりお疲れなのでは、と思いました。以前より痩せられたのではないかというくらいの感じが…。

*6:上から観たのでことさらそう見えただけだったのだろうか?