でもって復旧した訳だ。
仕事も来たし、何よりこんな状況じゃあ何も先に進まんよ、という訳で片付けました。
とは言っても雪崩れていたものを選別して、必要なものと捨てるものに分けただけなんですが。
しかも捨てるものはほとんどが封筒とか以前の仕事用にプリントアウトした書類などなので、そのまま捨てる訳にはいかない。シュレッダーかけないと…。
しかしこれまたお約束と言うべきか、雪崩れの中から発掘したものがいくつか(笑)。
図書券1000円が一番びっくりしましたね(笑)。だって金目のものをさっさとしまわずにそのままにしておくなんて考えられないから(爆失笑)。
切り抜き二枚は単純に嬉しかったなー。十三年の顔見世は、多分人生二度目の歌舞伎観劇のためにチェックして切り抜いたものだと思われ。今月の歌舞伎座夜の部の切符で、既に来年度の歌舞伎会特別会員確定した今の自分なんて、この頃絶対想像出来なかったもんねぇ(苦笑)。
で、今まで筋書最後にある上演記録を見て、どうも腑に落ちなかったことも解決して何よりだったり。
去年の『菊畑』と、今年の正月の『封印切』を観た時に
「絶対以前観た事があるはず。」
と思いながら、自分の記憶と上演記録が合致せず、何とも歯がゆい思いをしていたのですが。
平成十三年の顔見世、富十郎丈が途中で病欠されたために配役が変わっていて、それが私の記憶と食い違っていたのが原因ということがわかって。
筋書の上演記録にもその旨は書いてあったのだけれど、それでもなんだか違う気がしていたのがこれでスッキリ(笑)。
あと、以前ここで『封印切』のことをちょっと書いたんですが。これが私のかなりな勘違いだった、ということがちょっと前にわかっていたんですが、それを修正(てか言い訳だな(苦笑))するタイミングを逸しておりました。
二階への階段が客席に対して正面に付いているのが成駒屋の型だったのですね(汗)。
“すごく斬新”という気がしていた→でも今までこの階段を見た覚えが無い→でも浅草で七之助くんがこの階段を下りてきた絵が脳裏にくっきりと→ということはこの形は成駒屋型のはず…と矛盾が生じまくり、記憶の混乱に拍車がかかっていたものと思われます。私の中で過去に観た気のする『封印切』の忠兵衛は鴈治郎丈だった、ということで、もうなんか辻褄合わないことだらけ、ってのもスッキリしました(苦笑)。
ちなみにこの時はまだ母親と一緒に行っていたので、昼の部のみしか観ておりません。
てか…昼の部の『戻駕』の記憶が全然無い、ってのが(泣)。