金メダルの演技と歌舞伎舞踊
なんだかとても大仰なタイトルになってますが、極々私的な感想です、いつも通り。
フィギュア女子金メダルの荒川選手の滑り、生では観ませんでしたが何度も繰り返し放送されたものを観まして。
“非の打ち所が無い”とはまさにこのこと、と言えるであろう完璧な演技に心から素晴らしいと思ったのですが。
どうしても何か物足りなさを感じるのですよね…。
“隙が無い”というものに対して、どうも私は魅力を感じないようです。
今回の荒川選手の演技を観て思い出したのは、去年の浅草の亀治郎丈の『鏡獅子』でした。
私が観た日は着付けに不備があったのか、後ろに下がった時に後見さんが一生懸命帯の位置を直していたのですけれど*1踊りは完璧と言えるもののように感じました。
ただ、余りにも“楷書過ぎる”という印象で…。敢えて乱暴な言い方をすると“綺麗な踊りでした、と言う他に感想が無い”という。
それは“上手い”ということに越したことはありません。と言うか、じゃなきゃどうしようもないとは言えるでしょう。少なくとも“下手”という言葉が出てしまうようでは…。
けれどどこかに“ぶれ”と言うか、前述のような“隙”が無いものは観ていて面白味が感じられず、即ち“魅力がある”ように感じられない自分、ということに気付いたのが去年の浅草でした。
七之助くんの『鏡獅子』は豆成駒の二人の胡蝶も含めて(汗)、亀治郎丈のそれと色々比べられていたようですが。
私にとっては亀治郎丈の胡蝶の二人も“綺麗な踊り”という記憶しか残らなくて。*2
基本的に感性が非常に低い自分、というところに問題があるのではと思っていますが。
ただ例外的に、玉三郎丈の踊りというのは“隙が無い”にも関わらずとても魅力的に思えるのですよね。やはりあの方はある意味“人外のもの”なんでしょうねぇ…。*3