訃報



夕刊を開いてびっくりしました…。

訃報:中村又五郎さん94歳 歌舞伎界最長老、人間国宝
歌舞伎界の最長老で練達の脇役として活躍した人間国宝中村又五郎(なかむら・またごろう、本名・中村幸雄=なかむら・ゆきお)さんが21日午前4時10分、老衰のため東京都内の自宅で亡くなった。94歳。葬儀は27日午前11時半、東京都港区芝公園4の7の35の増上寺光摂殿。喪主は長男甚之介(じんのすけ)さん。
東京生まれ。父は初代又五郎。1921年に二代目又五郎を名乗って初舞台を踏み、優れた演技で子供芝居のスターとして人気を集めた。初代中村吉右衛門の一座に加わり、その没後は初代松本白鸚(はくおう)(八代目幸四郎)の一門となった。
61年に白鸚らと共に東宝へ移籍、歌舞伎や商業演劇に出演する一方で、国立劇場開場後は、同劇場の歌舞伎研修所の主任講師として30年以上にわたり、一般公募の研修生の指導にあたるなど後進の指導にも尽力した。
晩年に松竹へ復帰し、90歳を超しても現役として活躍。二枚目、女形から老け役までをこなした。当たり役に「髪結新三(かみゆいしんざ)」の大家、「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)などがある。06年4月歌舞伎座での「六世中村歌右衛門五年祭追善口上」が最後の舞台出演になった。今年の1月2日には歌舞伎座の「古式顔寄せ手打ち式」に列席した。
作家の池波正太郎はその芸と人柄を愛し、エッセー「又五郎の春秋」の筆をとり、小説「剣客商売」の剣の達人、秋山小兵衛のモデルとした。97年人間国宝認定。芸術院恩賜賞、紫綬褒章などを受けた。


▽歌舞伎俳優、中村吉右衛門さんの話 吉右衛門劇団のお師匠番で、私の初舞台以来約60年間お世話になりました。播磨屋吉右衛門家)も私一人になってしまいました。寂しく悲しいです。長い間ありがとうございましたと申し上げたい。
毎日新聞 2009年2月21日 15時00分(最終更新 2月21日 15時00分)

残念ながら私が実際に演技されているのを拝見したのは、勘九郎最後の演目として上演された『今昔桃太郎』だけなのですが。*1
上記の記事によると、3年前の歌右衛門五年祭が正式な“舞台出演”の最後のようです。但し、翌年の俳優祭の最後にご挨拶されたり…。特にこちらも記事内にありますが今年の初め、手打ち式に列席されていたという話も見聞きしていましたので、*2今回の訃報は文字通り突然と言うものであり、驚きと共に本当に残念でなりません。
現役としては勿論のこと、国立劇場の研修生のご指導など長い間、歌舞伎界を支えて下さった方でした。
心よりご冥福をお祈り致します。


参考



追記
結局、この記事の魚拓は取っていなくて(失笑)、サイト内検索でも1月以上経っているためヒットしなかったのですが、googleのweb検索でどうにか見付かりましたのでご紹介。

歌舞伎座:さよなら公演に向け「顔寄せ手打ち式」
2009年1月2日 18時54分 更新:1月2日 22時17分


来年4月公演を最後に建て替えに入る歌舞伎座(東京・銀座)で2日、「古式顔寄せ手打ち式」が行われた。顔寄せは俳優と興行元が出し物の確認などをする行事。3日からスタートする「さよなら公演」に向け、松竹創業100年記念の94年11月以来、約14年ぶりに舞台で披露された。
最長老の中村又五郎さん(94)から最年少の中村宜生(よしお)さん(7)まで俳優170人、スタッフ30人が黒紋付き姿で、5段のひな壇に並んだ。関係者やファンら約1800人を前に、中村芝翫(しかん)・日本俳優協会会長(80)が「歌舞伎座は特別の劇場。この舞台を踏むことが最高の誇りで、心のよりどころでした。来年4月まで一つ一つの舞台に心を込めてつとめる所存です」とあいさつした。【小玉祥子

曾祖父とひ孫に当たるような幅広い年齢の方々が、一つの舞台を作り上げていく歌舞伎というものに改めて感激したのでした…。

*1:もしかしたら役者さんのことを何も知らずに観ていた頃に拝見しているかも知れないのですが。

*2:この時の毎日新聞の記事、なかなか面白かったのでupしようと魚拓取ってそれきりになっていました…。現在、uriを控えておいたメインではなくサブのパソを使用しているため、今ここで引用することが出来ないので後ほど追記します。→文末に追記致しました。

*3:毎日新聞の記事が見付からず、web検索をしてみたところ偶然出た記事です。魚拓を取ってupしようと思いましたら既にどなたかが取られていましたので、それをお借りするような形となりました。

*4:サイトのデザインが変更になったようで、恐らくcssの設定が変わったのでしょう、画面左側に文字列が被さって非常に読みにくいものになっていますが、現在残っている記事は写真が無いのでこのままupします。