芸術祭十月大歌舞伎




不安のあった体調もどうにか持ち直し、無事一日楽しんで参りました、歌舞伎座
勢いづいて感想文upに挑戦。但し、眠気はほとんど来なかったものの、全般的に“目を開けたまま寝ていた”感アリ(汗)。
毎度のことながら“ざっくり”感想といきたいところですが…どうなることか。


写真は今回の演目とは全く関係ありませんが。
夜の部の食事に行ったカレーコーナーテーブル席横にこんなものがあったとは、という。
能書きがすっかりピンボケでわかりませんが(実はこれでも少しはわかるようにパソで加工したんですけどね)『十二夜』で使用された鏡、何か特別な“割れない鏡”ということで展示されていたので。てかねぇ…“本物の(ガラスの)鏡”とは思ってませんでしたけど…。
とにかく何か特殊なものらしいです。
気になる方は覗いてみては如何でしょうか。私は来月覚えていたらしっかり見てくるつもりでおりますが、はてさて覚えているかどうか(笑)。カレーコーナー行っても忘れているんじゃないかという気がしています(失笑)。


◆昼の部・三階十列十番台

『廓三番叟』



…正直、感想という感想は無く…<いきなりそんな。
いやでもねぇ、ご出演されている亀治郎丈の筋書のインタビューにも
「考えないですむ」
とあるし。ってコレ意味全然違うじゃん(汗)。
朝一からやはり目を開けたまま寝てたのね(涙)。
あ、でも前述のインタビューの言葉に続いている
「幕開きにふさわしい」
というのは確かでしたね。
先月の『正札付根元草摺』と同じく、華やかで。特に筋があるというものでも無いようですし、雰囲気を楽しむというものでしょう。
で、今ちょっと調べてみましたら、途中で「どうみても正月」という場面がありましたが、やはりそれは間違っていなかったようで。
ちょっと早いんじゃない、とか思いましたけれど、売店ももう年の瀬かと思うような品揃えになってましたし(笑)、とにかくこれはこれで良し。

『加賀見山旧錦絵』



先日もちょっと書きましたが、菊之助丈のお初がどんな感じなのか期待しつつの幕開き。
以前に観た上方式は序幕が『三圍花見』で華やかな雰囲気で始まるのに比べて、普通に(?)『試合』で始まると、いかにも“御殿女中の話”、しかも“きな臭さぷんぷん”という感じが。
やーでもまず凄かったのが菊五郎丈の岩藤の姿。上から観たから余計だったのでしょうか…ほとんど青隈じゃない?あれ。怖過ぎ(笑)。「『再岩藤』か〜?」と突っ込み入れたくなっちゃうほどの凄みあり過ぎの拵え。既に亡霊なんじゃないの、って(爆)。“悪役です”(笑)って凄く分かりやすい“記号”ですね。歌舞伎は“お約束”とか“記号”とかいうもので出来ている世界ですから、あれは代表的、と言うものなんでしょうね。
対して玉三郎丈扮する尾上は…なんかもう、また訳分からない私、ですが、何と言うか…“色気”というのとは違うんですけど、妙な“色っぽさ”を全編通して感じたんですが。所謂“耐える女の色気”とかいうものとも違うし。何だったのか未だに(と言うほど時間経ってませんが)わかりません。
そして菊之助丈のお初。…確かにかなり力入っていましたね。お初って幾つくらいの設定なんでしょうか?(ざっと調べてみたけれど分からず…) 主想いの健気さというのははっきり感じ取れたのだけれど、その“健気さ”が女性のそれでなく、少年のもののように感じられたところ多々あり。決して悪いとは言いませんが、ちょっと惜しかった、という気はします。
また、先日エントリーしたこちらの記事の引用後の部分にもありますし、筋書にもありましたが、『草履打』の後、『尾上部屋』で再び出られるまで揚幕の中で寡黙を通す、というのは、僭越ながら当然かも、と思いました。中十分の幕間があって、その間もずっと揚幕の中なの?という疑問があったのですが、実際に拝見すると観る側は休憩でも、演る側にとっては続いていなくてはならない展開だなと。それにそれが自然なのでは、という。実際に寡黙を通していないと、後の『尾上部屋』は有り得ないでしょうし、逆にやりにくいものなのでは、と。
前述のように一度実際に拝見しているのである程度の筋が自分の中に入っていたせいなのか、幕間二つ挟んでいて、事実上“切れている”ものであったからなのか…。いや、やはり、全く“長い”とは感じず、むしろ「もう終わり?」と思ったのは、この演目の全ての“もの”が高かったからなのでしょうね。
今回と同じ配役は勿論、色々な方のそれぞれのお役を拝見してみたいですね…。*1


で、id:cordiary:20051021:1129875890に詳しくありますが、昼の部終わってみらのさんとしばしお茶(笑)。いや終わってからはいつも通り外で待って中で会おう、と連絡してあったんですけどね、終演あんな早いとは思わず…裏のプロントにお茶しに行ってしまいまして。そこにみらのさんいらしたというメールを戴いたので、正直にお茶してます、と返信して、待たせちゃ悪いと思ってさくっと出ようと思っていたら彼女がいらしたと。てか結局呼び付けたって感じでした…(汗)。


◆夜の部・三階十列十番台 → 実は昼の部と全く同じ席(苦笑)

『双蝶々曲輪日記』



去年三越で演った時行けなくて、*2悔しいもんで筋だけでも…って調べて知ってたつもりだったんですが。筋書読んだら全く違った(爆)。どう違ったかはいちいち書けないくらい激しく違ったデス(失笑)。
で、その筋書読んで思ったこと。
「…とんち問答みたいだ…。」
私にかかると親子の情愛の話も台無しに(滝汗)。
いやだって、引窓の開閉で明るくなったり暗くなったりというのを利用(?)して、与兵衛が長五郎を逃がす、というのが大筋でしょう。この時の理屈がとんちだなーと。
でも田之助丈のお母さん、魁春丈のお嫁さんの女形お二人の役どころ、役者としての雰囲気がとても良く(本当に今更ながらなのですがこのお二人、最近ワタクシとても好きになっているのですよー)、更に大好きな左團次丈、昼とは打って変わって(笑)きりっとしてそれでいて愛嬌のあるお役の菊五郎丈と、悪いところ全く無し。
長五郎は人を殺して逃げてきたとは言うものの、それは大事な贔屓のためで、悪事のためではなかったし、とにかく“悪い人”が出てこないという芝居で、ある意味『加賀見山』とは対極かも?(苦笑)
という観方をしましたので、単純に楽しめました、はい。*3

日高川入相花王



人形振りは平成中村座の『本朝廿四孝』、その翌月の顔見世の『松竹梅湯島掛額』に続き三度目。*4
筋書の玉三郎丈のインタビューや福助丈の写真集のコメントを読み、*5更に今回改めて拝見して、いかにも体に負担がかかるものだなぁ、と感じました。
で、文楽は未だテレビでちょっと、くらいしか拝見したことが無いので見当違いも甚だしいかもと思いますが。
人形振りの肝は手先の動きではないかと思ったのですが。
勿論、上半身の使い方(動き)が一番の特徴であるとは思うのですけれど、今日、玉さんを拝見していて、袖口から出る手の動き・出し方などがまさに人形のそれだなと感じまして。
普段から女形さんはそうそう腕をぐっと出したりということは無いですけれど、文楽人形は腕が袖からにょっきり出てしまったら、それはもうモロに人形、という感じになってしまうと思うんです。なので手先のみでの表現、というのを用いているという印象がありまして。
今日の玉さんはまさにこれ。親指の付け根から先のみを出した手の使い方。これが上半身の動き以上に人形のように感じさせてくれました。
で、これは当然なのかそれともこう感じた自分が変なのかまたよくわからないのですが、止まっている時より動いている時の方が人形のように見えるという発見があったり。“人形のようにぴくりとも動かない”という言葉もありますし、その通りに動かない玉さんでしたが。あの動きにより一瞬にして“人形遣いにより魂を吹き込まれた人形”になってましたね…。
人間では有り得ないというように、さも操られているかのように、まさに“動く”玉さんは素晴らしかったです。
あと船頭の薪車丈の拵えが、女形の人形振りしか観たことが無い自分には意外なもので。玉さんが動いている間、じっとしているあの薪車丈の姿勢も凄かった…。*6
蛇となって川を渡り、岸にたどり着いて最後の睨みは、『道成寺』の花子の鐘への睨みや、鐘入りの後のものより恐ろしく感じました。私の位置からは下向きであったので、はっきり顔も見えませんでしたが、背筋に冷たいものが走りました。*7

『河庄』



ブログ内検索をかけたところ、去年の顔見世の時の感想文に“河庄”とあったので確認してみましたら、『箙の梅』しか書いてなくて自分でもびっくり。いや途中までしか書いてなかったな、というのは覚えていたんですけど、まさか一幕目のみとは…(失笑)。
で、この時にちょこっと書いてあったんですけどね。
今日、挑戦してみたつもりだったんですが…見事に玉砕した気分。どうしてもダメです、鴈治郎丈の立役。率直に言って、拷問でした、この演目…。なら帰っちゃえよ、という感じですか、これは貧乏人の悲しさ。それに今回観たら何か変わるんじゃないかと自分に期待してもいたんですが、もう本当にどうしてもダメ。
『河庄』という演目自体がダメなだけかも知れませんが…。
実際、『良弁杉由来』とか『葛の葉』は良かったんですよ。むしろ『良弁杉』などは出来ればまた観たいくらいで。
女形は良いのですけど…。
実のところ、途中二十分ほど転寝でなく確信犯で爆睡してたんですが<論外。
でもその後もダメでして…。和事のつっころばしがダメなんでしょうかねぇ? でも浅草の『封印切』とか、そんなこと感じなかったし…とは言っても愛之助丈は向こうの方ですけど、所謂“コテコテ”では無かったですから、やはりあのテの役どころが苦手なのかな…。
ぶっちゃけ小春役が雀右衛門丈だったら全編観られたかも、とか思っていたり。*8
孫右衛門が我當丈だったので、それでも“持つ”かなと思ったのですけど、終わる頃には辛さがピーク。帰りには胃が痛くなっている始末(汗)。
でも前回観た時の記憶で面白いと思ったところは今回も面白かったですけど。手を格子戸に縛られたままの治兵衛がいびられる場面の盆を九十度だけ回した舞台の使い方とか、小春と孫右衛門のやり取りの間、治兵衛が勝手に大福帳広げて不貞腐ってたところとか。
“何でも好き”ということは有り得ないとは思うけれど、こんなに苦手、というのがあるのも何だかねぇ…損してるとは思うんですが、こればっかりはどうにもならないかも…。


で、やっぱり当初の“さっくり”という話はどこへやら。
さらっと行きたい、生きたいのにねぇ(失笑)。

*1:しかし筋書巻末の上演記録を、「福助丈って今までこれやったこと無いよね、きっと。」とチェック入れていたら、平成九年に勘九郎丈(当時)がお初を演っていたということを知りびっくりしました(汗)。『再岩藤』は『旧錦絵』の一年後の話ということで、平成中村座では二代目尾上を福助丈が演られていたし…益々お初の歳がわからない(苦笑)。そして福助丈は児太郎時代に代役で求女を演られていた、ということが初めて分かりました〜<それは今見直して(汗)。

*2:正直二演目で8000円はなぁ、と引いてしまっただけの話だったり。

*3:しかしまた筋書の上演記録ですが…。去年の三越の記録が入ってないっていうのはどういうことなんでしょうか? 三越は別口なのかな、と思ったんですが、平成十二年のものは入ってるのよね…何故? そしてついでに今年の四月に御園座でかかったというのも記憶に無く…勘三郎襲名で沸いてたんだなぁ、とつくづく思った私でした…。

*4:しかしこれもまた…中村座と顔見世が続いていたというのも今回改めて確認して気付いたことだったり(汗)。しかも更に言うと、以前に書いた気もしますが、この中村座の八重垣姫が福助丈を拝見した最初なんですが、この時は単純に「綺麗だなー。」くらいしか思わず、記憶がほとんどありません…今思うに勿体無さ過ぎで自分が許せないですわ…。あの時は七之助くんの弁天目当てで、すっかり魅了されちゃってたから特に、だったんですけどそれにしても(涙)。

*5:玉さんは靭帯が伸び切ってしまい、福助さんは肩脱臼ってね…。

*6:作り物の足が船の床に付くように、中腰でしたよね?

*7:そしてより“人形らしい”舞台写真を買ってしまいましたとさ(汗)。最後の睨みの写真も、はっきり写っていなかったけれど、忘れないようにと買いました…。

*8:そんな願いを込めて(?)雀右衛門丈の写真を買ったワタクシでありました。