追悼・松竹永山会長

松竹会長・永山武臣氏を悼む:歌舞伎の隆盛に大きな功績=水落潔
松竹会長の永山武臣氏の突然の訃報(ふほう)に接して驚いている。永山さんの面識を得たのは、私が毎日新聞の演劇記者になった1970年のことである。
当時、永山さんはすでに松竹演劇の中枢にいた。永山さんは京大生だった時代にアルバイトで戦災で焼け残った東劇の夜警を務め、それが縁になって松竹に入社した。
当時の松竹は創業者である大谷竹次郎氏が陣頭に立って歌舞伎、新派をはじめとする松竹演劇を指揮していた。永山さんは、その大谷さんのもとで歌舞伎興行のすべてを学んだ。大谷さんは「戦火で焼け落ちた歌舞伎座を一刻も早く再興すること。さらに文化国家として世界の人に歌舞伎を見せること」(「歌舞伎海外公演の記録」の永山さんの「序」から)を目標にしていた。
  〜後略〜
毎日新聞 2006年12月19日 東京夕刊