2007年12月まとめ



年明け早々から去年のことを振り返ります(失笑)。


11日 歌舞伎座(十二月大歌舞伎):幕見
     夜の部 『粟餅』 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
15日 歌舞伎座(十二月大歌舞伎):3階1列中央
     昼の部 『鎌倉三代記』 『信濃路紅葉鬼揃』 『水天宮利生深川』
24日 歌舞伎座(十二月大歌舞伎):3階1列中央
     夜の部 『寺子屋』 『粟餅』 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』


《今月のいちばん》
寺子屋』。
次点は『ふるあめりかに〜』。


で、珍しく感想をちょこっと。

鎌倉三代記

あらすじ分かっていたつもりでしたけど、観終わってなんだか物凄く難解だったなぁ、という感想が残りました。色々とあってきちんと物語に集中できなかったからだと思うのですが。
心配していた福助丈の声は、立ち上がりこそああ、という感じでしたが、物語が進んでいくにつれてどんどん出るようになってきて一安心。
とにかく福助丈と橋之助丈のお二人が並ぶと本当に美しくて溜息が出ることしきりでした(笑)。*1

信濃路紅葉鬼揃

玉三郎丈の世界に浸り切ったひと時でした。
率直に言って能仕立ての演目というのは苦手だし、どうしても好きになれない*2というのと、演目発表時には外題が『鬼揃紅葉狩』になっていたので、一昨年9月のあの華やかさを期待していて。それが能仕立てになってしまったので、うーん、と。*3
まぁ実際に拝見したら面白かったですが。でもちょっと中盤ダレたという印象もあり…。山神だけ妙に歌舞伎だった、というバランスの悪さみたいなのも感じたり。もっともあれが無かったらメリハリというのは感じられなかったかも。
けれどそれぞれの役者さんの魅力は十二分に堪能出来ましたね。特に海老蔵丈の貴公子が美しくて眼福。*4

水天宮利生深川

勘三郎丈演じる幸兵衛もさることながら、脇の方々の安定感が心地よく感じました。
金貸しの強欲振りには、金に不自由している訳でもないのに、ここまで残酷に取り立てるという心理というのは何なんだろう、と思ったり。*5
この演目の眼目と言える、幸兵衛の気がふれた様については…思ったほどではなかった、というのが正直なところ。でもこの点は私自身の受け入れ態勢が不十分だったというのもあると思いますし。どうも『三人吉三』の吉祥院のお坊がとにかく凄かった、という印象が大きくて、あれを超えた、という感触が得られませんでした。

寺子屋


12月のいちばん、と思った演目。
今回で4回目の『寺子屋』。一番“わかりやすい”と思ったのは前回(一昨年9月)のものでしたが、今回は過去のものとは飛び抜けた“リアルさ”を感じました。そう感じたのは恐らく海老蔵丈の源蔵にあったのだと思います。何と言うか今までの源蔵というのは「せまじきものは宮仕え」という台詞が今ひとつピンと来なかったと言うか…上手く言えないのですけど、理屈を超えて今回の海老蔵丈の台詞はすっと胸に落ちたと言うか。
と、この感想を書いていて、台詞を間違えたら話にならない(失笑)、と確認のために検索してヒットした先を見て*6あぁ、と思ったのですけど。今まで拝見した際のこの台詞というのは、現代の生活の中で半ば自嘲的・自虐的に使われる“せまじきものは〜”という響きのようにしか自分の中に入ってこなかったものが、今回初めて、もっと深い人間の業といったところにまで入った台詞のように感じられたからなのでは、と。まぁ言ってみればこういった浅い見方になってしまっていたというのは、前段の『筆法伝授』を拝見したことが無いからだと思うのですけどね…。
あと、今までこの演目は“親が子を思う気持ち”というものを中心とした物語、として捉えていて、そういった見方しか実際していなかったのですが。今回、松王丸の小太郎に対する台詞を聞いていても、言い方は悪いのですが「うんうん」という感じに受け止めていて。でも途中、話が桜丸の話になった途端、突然ぐっと胸に迫るものがあり…。“若くして散った命”という、もっと広い意味の主題もあったことに今更ながら気付いたり。
‐:‐:‐:‐:‐:‐
で。ついでと言っては失礼なのですが。
先日縁あって手に入れたものの中を何気なく見返していて、これは、と思ったものがありましたのでup。
今回千代をお務めになられた当代福助丈のお祖父様、五代目福助丈の千代のお写真です。昭和6年正月・東京劇場と裏書にあります。77年前の丁度今時期ですね。
亡くなられた方の肖像権というものがよく分からないのですけど…それこそ子孫の方がはっきりしていらっしゃいますから、権利は存続するのでしょうか。もしこれはまずい、ということでしたら下ろしますので、お気づきの方いらっしゃいましたらお手数ですがご一報下さい。

粟餅

前が重かったので、軽く楽しい踊りが嬉しかったです。
ただ、2回拝見しましたが、いずれも集中出来ず…。ああ残念。

ふるあめりかに袖はぬらさじ

何とも贅沢な配役で、1年の締めくくりにぴったりという感じ。
海老蔵丈演じる浪人は、出てきてすぐ行ってしまって、あれだけかと思って結構冷や冷や(?)しました。廊下に現れた時には幕見席からだと顔が鴨居で隠れて全く見えなかったので(笑)。
橋之助丈はああいう明るい高笑いするようなお役が似合うわー、とか、勘太郎くんの若者らしい熱い様もらしくていいなー、とか。
玉三郎丈を始めとした芸者衆が一斉に唄うところなんてご馳走の域だったのではないでしょうか。
唐人口の皆さん(笑)も、個性があって。福助丈のマリアは、一度目も感じましたが、二度目に拝見した時は更に健気さみたいなものが滲み出ていて、なんだかちょっとほろっと来たり。松也くん演じるバタフライの“今夜が初めて”という不安げな様子も印象に残りました。
幕開きの光の使い方、三幕目の日が暮れてゆく様子が素敵で。
あと、特に幕見で拝見した時、行灯部屋でお園が亀遊に卵を剥いてやる時の殻を割る音がまるですぐそばの音のように聞こえたのには、改めて歌舞伎座という建物の素晴らしさを感じました。
話自体も…残された者が語ることの意味・責任といったものを強く感じて。個人的にとても重いものでした。


さて。
今年はどんな芝居に出会えるでしょうか。
どんなことを思い感じるのでしょうか。
数時間後には“芝居始め”です(笑)。

*1:しかし所謂“三姫”の話の中で、これが一番好きじゃないかもなぁ、とも(苦笑)。だって「俺を取るか親を取るか」って恋人に迫られるんですからね。『本朝廿四孝』も似たようなものかも知れないけど…。そう考えると『金閣寺』がある意味単純明快な話で一番好きかも。

*2:能装束が好きになれないのが最大の原因。あの衣装が“美しい”と思えたことが今まで一度も無いのよね…。

*3:歌舞伎初心者さんと一緒だったので、『鎌倉三代記』とはまた違った“歌舞伎らしさ”を期待していたというのもありまして。あれはあれで最初に期待していたのとは違った面の歌舞伎らしさではあったのですが。

*4:しかし全く関係ないけど、海老たまカレンダーの12月の写真を見る度に「…食っちゃった?」と思う私なんですけど(笑)(『紅葉狩』の最後のキメの形なのだけれど、口を赤く見せる為に含んだ紅が口元からだーっと滴っていて、まるで人を食った後みたいに見えるんですが…)。

*5:それまで世の中の“上”にいた者に対するある種の復讐心等々がない交ぜになっている上に、“金”というものでいくらでも自分の立場が変わるということであそこまでのことをするようになったのだと思うのだけれど。

*6:拝見したのはこちら→http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin41.htm